大学通信教育の講師をした。

スクーリングには必ずワークショップを交えることにしているが、これがなかなか難しい。
以前は、参加者全員が積極的に参加する工夫に知恵をめぐらしたものだが、このところ、意見や質問に対する調停役として汗をかくことが多い。

今回は、自分勝手な意見をところかまわずぶつける、発表の脈絡を斟酌ぜずにうんちくをのたまう表現をする方が一人ずついた。
こういう方を毛嫌いや敬遠したり、迷惑と思うつもりはさらさらない。
むしろ、討論の起爆剤(失礼)的な役回りとかってでてくれたと歓迎している。

ところが、度というものを同時に考えなくてはならない。
こういうときには、その方の心を思いはかって、その方が求めている「収束」キーワードで一応のしめくくりをすることにしている。

世代的には、2つに分かれると思う。
1つは比較的若い技術職が管理職になるという年代、もう1つは遅咲きの管理職がボードになろうかという年代である。
どちらも深く考え、悩み、そして大学で学んでおられるのだと推察する。
ぜひ、少しでもスクーリングから何かを持ちかえってほしいと願っている。