新聞とインターネット

フランスでは、18歳になった若い人たちに、1年間、新聞を購読してもらうための予算措置をすると発表した。フランスでは、18歳になれば成人として認められる。国からの成人のお祝いといったところだ。

新聞をもっと読んでもらう政策で、これによって新聞経営にも、元気をとりもどしてもらおうという一石二鳥のプランなのだ。

インターネットでのニュース配信自体が、直接、新聞経営に影を落としているのではない。
新聞は、紙に印刷され、ひとつのパッケージとして社説に代表されるような社の「色合い」を強く打ち出した形での情報伝達文化である。
一方、インターネットは、それぞれのニュースを、「起こった事実」として早く伝達することができる、速報的な使い方に威力を発揮する。

新聞が広がっていく過程において、遠くはなれた国や地域のできごとを鉄道の線路にそってひかれた電線による電信で送り、記事として伝えたことはたいへん重要であった。
それが、現在では、ニュースの送り手が直接、読者が目にすることができる形で、インターネットを通じて発信可能になった。
これにより、ニュースの速報に触れる機会はめざましく増加したが、それを深く分析し熟考する機会が減ってしまったように思う。
情報の自然淘汰がおこっている。

ここまでは、よくでる議論だ。
ここからさきの筆がすすまない。
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