ときにメディアは暴力ともなる

 昨年の初夏、東京湾にクジラが迷い込んだときのマスコミの取材ぶりを叱責するブログを見つけた。取材ヘリが海面すれすれまで降下し、ローターが起こす風で海面をざわめかせながらクジラを追って撮影したという。

 ピンとこないときは、クジラの気持ちにわが身をおいてみるとよい。どこかわからない場所で心細い思いをしているときに、得体の知れない物が飛来し、爆音をたてて高度を落として追ってきたらどんな心もちだろう。

 TVマンは、だいたい誰でも大型のハンディカメラを担ぐと気が大きくなる。日本全国1億3千万人の眼になった気分になる。まして、ヘリコ(マスコミではこういう)なんかに乗り込んでいたらなおさらだ。目前に求める被写体が現れたものならもうたまらない。というか止まらない。止められない。
 強靭な精神と自制心を要するのだ。

 かつて私もかけだしの頃、報道局長とやりあった。旅客機が墜落してたくさんの犠牲がでたときだ。
 取材に行って、遺族の気持ちをインタビューして来いという。Noと断った。その気持ちは悲しくやるせないに決まっている。その方たちに、「どんな気持ちですか」と至近距離ででかいカメラを構えてノタマエというのだ。「冗談じゃない!」
 今となっては苦い思い出だが、何年たっても判断を誤ったとは思っていない。

 ブログは、マスコミを監視するメディアにもなっている。やっと暴走を止められるチカラが、出現したのかも知れない。