命名という世界観
いまの住所は、何丁目何番地という表記がおおい。
ぼくが育った地方の城下町では、丸の内、大名町、鷹匠町、人形町など、文化と歴史のなごりを残す地名があった。
名前をつけることにより、そこに境が生まれる。
「本郷もかねやすまでは江戸のうち」。
この川柳も都会と田舎を分ける例で、都市に張られた見えない結界を示す。
養老孟司氏が、著書「解剖学教室へようこそ」のなかでこう語っておられる。
『人は世界をことばで表わす。人のからだに、名前をつける。名前がついた部分は、ほかの部分とは、頭のなかでは「切れて」しまう。頭、首、胴体、手、足。その「境」を、きちんと言える・・・。』
人はその生活に密着したものに対して多くの呼び名をつける。
例えば、雪の多い地域では、そうでない地域に比べて雪やそれに関する気象や現象に何十倍もの呼び名があるという。
細雪、ぼたん雪、こな雪、わた雪。まだまだたくさんある。
文化が進むにつれて名前が多くなり、それぞれが頭のなかでは「切れて」区別する。それだけ「こちら側」と「あちら側」の隔てる結界も増えていく。